バロック時代、クラリネットの楽曲が少ないのはなぜ??

どーも。最近Apple musicで楽曲を漁りまくって聴きまくってる中島です。 

すっかりCDを持ち出さずとも、いろんな楽曲を手に入れる事ができる時代。

 CDやカセットが懐かしく、大切な思い出もありますが、どんどん変化に対応出来る音楽家でもあり続けないと厳しくなってくるでしょう。 

変化も毛嫌いせず、前向きに受け入れてまいりましょう!


さて、歴史を遡ると、そういえばなぜ?とふと疑問に思うことが多い。 

今回は、過去に調べたけれど、いつのまにか風化して、そういえばなぜなんだろう?と再び感じた疑問を改めて調べてご紹介していきます♪ 

今回のテーマは 【バロック時代、クラリネットの楽曲が少ないのは何故なのか注目してみた】! という内容をお送りします。

クラリネットはバロック時代の1700年頃に発明されたました。 1700年は、バッハがおよそ15歳の頃の事。おそらく学生でしょうか。 他の楽器よりも、スタートの出遅れ感はあったかもしれないが、クラリネットに関する楽曲が圧倒的に少ないように感じるのは私だけでしょうか??´д` ; 

いや、一つも楽曲がないわけではないのです。 レパートリーとしては、ドイツの作曲家『ヨハン・メルヒオール・モルター』はクラリネット協奏曲を6つも書いていただいているし、 ヘンデルも、クラリネットを指定した楽曲を書かれています。 ただ、フルートやオーボエに比べて本当に少ない、、、(´;Д;`) 

モーツァルトがクラリネット協奏曲や五重奏曲を生み出したのは18世紀末まで、ほとんど目立たなかったのではないかと考えます。 

クラリネットが発明された1700年から、モーツァルトが協奏曲を生み出すまでの約90年間、クラリネットはどういう存在だったのでしょう???


<考えられる2つの要因>


まず1つ目の要因についてお伝えしていきましょう。 

当時クラリネットは、ドイツやボヘミアで発明されました。ドイツ、ボヘミアは当時は片田舎であった為、パリの宮廷には採用されなかったと言われております。

その後は野外の音楽で使用されるようになり、ボヘミアの奏者たちがウィーンに出稼ぎにいって演奏して、徐々に人気が出て行きました。 

ただ、クラリネットはしばらくの歳月「市民が楽しんで聴く音楽として機会の多い楽器」という存在でありました。宮廷の王侯貴族のみに親しまれている楽器とは、異なる位置づけだったのでしょう。


 そして、18世紀末になると、徐々に市民の存在(力)も強まってきました! 庶民派&民衆密着型(?)のクラリネットやホルンが注目を集めるようになり、そこから独奏曲が多く書かれるようになったのです! 

あのモーツァルトでさえ、ザルツブルグ時代は、オーボエ・フルートの協奏曲を書いておりましたが、晩年にクラリネットの協奏曲を生み出した事から、上記の様な流れが考えられますね。 そして、もう一つの要因も探ってまいりましょう。

それは、【楽器独自の特性】が深く関係しているのではないでしょうか。 

クラリネットは『閉管楽器』です。閉管楽器とは簡単に申し上げますと、管の片方は閉じられていて、もう片方から音が出る仕組みの事を指します。 他の木管楽器より幅広い音域を出すことが出来る反面、基音と第三倍音の間が『12度開いてしまうという問題』が生じてしまいます。

 他の木管楽器は基音と第三倍音の間は『8度(1オクターブ)』とのことで、最低でも7個の指孔があればOKでしたが、クラリネットの場合は全然指孔が足りませんでした。

初期のバロッククラリネットは、キィ部分は2箇所でその他は指孔がある構造でしたが、それでも十分な音階が得られず、満足に演奏することが出来なかったので、実践向きではなかったと言われております (※シの音は、ドの指づかいで、口を締めて音程を調整していたようです) 

その後18世紀後半にようやく3、4個キィが追加されまして、全音域を半音階で演奏する事が実現可能となったのでした。(モーツァルトの協奏曲や5重奏曲は、さらにキィをつけたしたバセットクラリネットも後に誕生)


<タンギングは息で切っていた?>

実は、クラリネットが発明された当初、リードは上につけて吹くことが一般的であった為、舌にリードがつかない状態であったそうです。

その為、タンギングの際は、息で音を切る方法で演奏されていたんだとか、、(^◇^;) 

ただ、クラリネット奏者『アントン・シュタードラー』は唯一リードを下側に取り付けていたようで、モーツァルトが求めていた繊細な音色感 アーティキュレーションが実現できたのではないかという説があります。 

現在は下側に取り付けられていますから、この方が発起人だったのでしょうか。 ちなみにリードを上側に取り付ける奏法は、なんと20世紀までヨーロッパに残っていたと言われております。

 そんなこんなで19世紀以降、クラリネットもフルートとオーボエに引けを取らず、黄金時代を築いていったのです!


 いかがでしたか? 

これからもあらゆる疑問を掘り下げてまいります( ´∀`)

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